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君がスタンダード

ながつまとめ '16

ごく一般的な感性をもった高校生の、並外れた精神力をまざまざと見せつけられている。 

考えていないようで、実はすごく考えていて、でも考えすぎることはない。彼の言動のそのバランスが、絶妙でたまらない。

長妻について、たくさんそう思える機会のあった2016年。

 

〈JOHNNYS'  World '15-16〉

無所の中では確実に優遇されていたほうだった立ち位置の良さや出番の数。その中でも長妻はセンターが多く、どうやら事務所的には一目置かれた存在らしいということが伺えた。さすがに2ヶ月もやれば当然といえばそうかもしれないが、舞台序盤と終盤での彼の佇まい、振る舞いと意識の違いは歴然。序盤は目が泳ぎっぱなしで、表情もてんで作れず、こちらとしてはその完成度に対する不安とどことない安心(月9を経た彼はどう変わってしまうのか?という勝手な心配に対して)を同時に抱えながら観ていたが、1月にはすっかり堂々としていた。この2ヶ月を腐らずに、ただの2ヶ月にしなかったところは、今の彼のキーになっていると感じる。

 

今、Love-tuneとして活動する彼の、キャラクターの1つとなったアクロバットに凝りだしたのはこの舞台からだった。12月に突如バク転を披露しはじめ、1月にはいつのまにか前宙もバク宙も出来るようになっていた。あらゆる紙媒体で「いまはアクロバットを頑張っている」と言及していたことからも、彼の熱意と傾注具合はわかりやすかった。

サマパラでメインバックを務め、だれもが羨む月9に出演し、演技…もそうだがその立場としての存在感を掴み始めた長妻が、次に欲しいものとして選んだのがアクロバットだとは。驚いたし、別に長妻が会得すべきスキルでもないだろうと最初わたしは首を傾げ気味だったが、その彼がやると決めたものに対する向上心を否定することなぞどうして出来ようか。技術的に、安定という言葉には当時もちろん程遠かったが、彼が毎回その出来栄えに対してすっきりと表情を変えてくれていたのは単に微笑ましかったし、心の中で拍手せざるをえない場面だった。

 

 特に印象的だったのは千秋楽の前日、たくさんのジュニアが踊る『まだ見ぬ景色』。狭いスペースの、特になんでもない場面でバク転をした、随分チャレンジングな長妻の姿。彼に元々興味がある人以外には気付かれることはないであろう、とても目立たない場所でのこと。観られている意識、観てほしいという意識が、すっかりこの2ヶ月で鍛えられていたような。

 

クロバットは滝沢歌舞伎においても、バク転が出来ることがジュニア選抜の条件の1つとなっていたので、結果的にその頑張りはわかりやすく次の仕事に繋がった。ちなみにアクロバットだけでなく、セリフもちょっとずつ変えてみたり(ヒンデンブルク号に対して『アメージング!!』『ファンタスティック!!』『アンビリーバボー!』など)、最後まで彼が考えて立ち振る舞っているらしい、というのが伝わる2ヶ月だった。

 

(おまけ:3月の少年収。珍しく行った収録が、彼が色んな人のバックについて何曲も踊る、いわゆる無所らしいポジションを全うした最後の回になった。谷村くんが不在で、明確に動きをあわせようとする対象の人がいなかったのも久しぶり。全体的にとてもナチュラルに踊っていた彼の姿は、忘れられない。)

 

〈滝沢歌舞伎'16〉

今までの彼の舞台と違い、衣装に世界観がきちんとあり、出番もバラエティ豊か。はじめて歌舞伎に赴いた身としては、演目も分かりやすく、力まずにぽんぽん楽しい場面が提供されたこの舞台は、あっという間に終わってしまった春を特別なものにしてくれた。

 

カンパニーの一員として、まずしっかりと馴染むこと。ジャニワですっかり後回し気味だったこのことを、谷村くんと長妻は教えられたのか、心がけたのか。ある程度のスキルと存在感は既に手に入れた彼らだからこそ、身につけるべき調和がしっかりと補われていた、そんな舞台だったと感じる。

ストイックに1つの舞台を創り上げるという点で、歌舞伎を経験してくれてよかったとは揺るぎなく思っているが、裏返すと、彼が工夫する余地はあまりない舞台だった。ダンスやパフォーマンスでの見所も、そう多くはなかった。まぁ好みの問題だろうが、かわいいと思えるところは多々あれど、かっこいいと思わせてくれるところはわずかしかなかった。むしろ、同い年の前田くんや根岸くんの色鮮やかな表現の数々をみて、適材適所という言葉があることも理解しつつもこれは長妻には出来ないなぁと思うことばかり。わたしは今まで長妻に凄く自信をもっていたが、彼の魅力はぼんやりしていて、気付かれにくいのではないか、と観ながらなんとなくもやついていた。

それの打開策にユニットという選択肢があろうとは、微塵も思っていなかったけれど。

 

※クリエは行ってない。

 

〈サマステ ジャニーズキング〉

無所属でなくなった彼をみるのは、これがはじめてだった。無所属時代の彼の仕事には満足していたから、もっと前に出てほしいとは思っていなかった(ここら辺のことは、前回のブログで述べている)。どこに何の楽しみを見出せばいいのかわからないまま迎えた初日。披露された歌の数々は2015年に彼が関わった曲が多く、否応にも上書きされていく思い出に、酷だなぁと感じ。バルコニー、ステージに立つ彼は、どうみてもわたしが馴染んできた彼ではないように思えた。

 

でも、それがわたしを彼を応援することとなった最初のきっかけを思い起こさせてくれた。ただ単に、そこで振舞う彼はシンプルに印象的だった。『印象的』の示す言葉こそわたしが彼を好きになった時のそれとは少し違うが、とにかく、わたしをただならぬ好奇心でいっぱいにさせてくれた。マイクを持ち、時にセンターに立ち、アクロバットのスパイスとして機能し、楽曲のソロパートをもらう。どうしても、どう見ても、かっこよかった。

 

これまでの経験を惜しみなく彼に落とし込んでくれるLove-tuneメンバーのおかげでもあるが、彼を観ることの楽しさを、久しぶりに感じた。もう1度、彼を見つけた気分だった。

 

パフォーマンスとしても、単純に雰囲気としても、もちろんまだ溶け込めきってはいなかった。でも、この場は、彼の未知数な可能性を、彼を知らなった人へ、そして知っていた人へも示すにはじゅうぶんすぎるぐらいのステージだった。

 

A.B.C-Z STAR LINE TRAVEL CONCERT〉

去年はSnow Manのうしろ、メインサブバックみたいな感じの立ち位置で出ていたのが、1年後堂々メインバックとして登場。初日のラストで、長妻と紹介されたあとバク転した姿にメインバックとしての余裕を見て取り、感慨深かった。だってそれは、彼より前にいたSnow Manがずっとやってたことだったから。

 

手脚を勢いよく動かす振付が多く、ハッとすることが多かった。そういう派手に動いてもよいダンスをみるのも久しぶりだったことを思い出し、これもメインバックだから許されることだと気づく。

少しさらりと踊ることもついに覚えつつも、楽しい曲はハッキリとした笑顔で、かっこいい曲はいつも確認できる、どこか艶かしい表情をたくさん見られた(そこまで表情をつくることは、まだしないのか出来ないのか、どちらだろうか)。

変わった(変えた)部分、変わらない部分、すべてが楽しかった。

 

しかし私も改めて映像でみて驚いたが、SEVEN COLORSの迷いのなさすぎる顔。この時まだサマステも途中だったというのに、どうみてもはっきりLove-tuneとしての顔。どうぞ円盤で確認してみてほしい。

(それにしても1年ぶりのまともなうちわ現場は、どっと疲れた…。)

 

〈DREAM BOYS'16〉

Love-tune全員が、Love-tuneとしての印象をつける。その使命をしっかりと背負っていると感じた。彼もそのもとに工夫する必要はあれど、もう1人だけで考えることはない。彼は適性と力量を考えた結果あまり動かないというキャラクターを選んだが、それもチャンプチーム全員とのバランスが取れていた。その中でじわじわと、キャラを壊さない範囲でよりチャンプチームらしい挑発的な言動を取り入れていったのには、以前より全く絶えることのない向上心を、今回もしっかりと捉えることができた。(ユウタをさらりと、でもきちんと聴こえるように蔑むセリフを入れたり、モリタがやっていたのと同じやり方でカメラクルーを煽ったり。)

たくさんのダンスシーンでは、この舞台においてはやはりダンスが自分の持ち味だと言わんばかりに活き活きとしていた。随所で披露されたアクロバットも、(失敗もあったが)良いアクセントになれていた。憧れの人玉森くんと、今の指標であろう美勇人くんと3人で踊ったSURVIVORも、初日にみたそれと3週間後にみたものとでは、のばす手脚の音・リズムへの当てはめ方が違った。ただ単に踊り慣れた、そうではないだろうな。

 

〈JOHNNYS' ALL STARS IsLAND〉

(まだ1回しか観てないのと、そもそも終わってないので様子見の段階である) Love-tuneとして、と引き続きメンバーが考えてくれている中、なかなかそれを見せつけられる場面はなく、こちらとしてはどことない悔しさ。でもきっと、そんな中でもっと7人で話し合ってくるのだろうなと予想はしているので心配ではないが。

長妻について何か言うとすると、まあ今までの舞台とえらく違うのは、舞台序盤にしては珍しく顔がつくれているほうだなぁと。これだけわらわらしている舞台だし、なかなかぼーっと佇むだけの人もいる中で、とりあえずそうはいないようにしようという意識は伝わる。それだけで、この1年の重みをずっしりと感じられる。

あと、今までなかなかきちんとは確認出来なかったキーボードを音に合わせて弾き続ける(続ける、が大事)姿も見られたので、ひとまずその意識はあることがわかり安心した。

 

以上。 全てあくまでもわたしの感想と想像であるので、それだけはご理解を。

 

私は、彼に理想はない。こうあってほしいというイメージは外見内面共にない。

それよりも、この時彼はどう思って、こう行動したのかと、その事実の中身を紐解いていくのが、わたしには楽しい。

そもそも、わたしが脳内で考えられる理想という上限など、越えていってもらいたい。

 

この1年で彼の庭師は変わったが、庭そのものの生命力と、自分で手入れをする努力が失われたわけではない。それがわかるから、これからも観に行く。

 

2017年は、彼の庭がどう彩られるのか、今から楽しみで仕方がない。